2008年9月12日

政治がヒドイことになってる。もともとヒドかったから何がおこってもそうそうおどろかないけど、今回の「や~めたっ」は相当びっくりした。おかげで「嫌われ松子の一生」がいきなりスッ飛び、アナログで録画予約していた月9は途中までしか録画されていなかった。ハチはどうなったんだぁ~?

「あなたとは違うんです」

うん、そうですね。よくわかってらっしゃる。あなたの事はな~んにもわかんない。
北京オリンピックの開会式にわざわざ出席しときながら、日本選手団の通過を座って過ごしたお人の事なんか解ろうとも思わないさ。

今もニュース番組の中では5人の候補者が「ごっこ」をくりひろげています。国民には投票権がないんだから報道するだけ無駄。さっさと決めちゃってよ。「じみん」の総裁なんて結局誰がやってもおんなじ。だってその「じみん」を動かしているのは絶対的な固定票を持った人達なんだから。ラーメン特集や激安ランチ特集でもやってた方がまだ有益というもんです。

「やとう」は相変わらず情けないけど、それでも「よとう」よりまだマシという末期的な日本国。もう目をつぶって「やとう」に政権を移すギャンブルが必要なんじゃないかな?

どうせギャンブルなら「キムタク」でイイんじゃね?

2008年8月17日

ポォーニョ ポォーニョ ポニョ さかなのこっ あおい うみから やぁってきた
ポォーニョ ポォーニョ ポニョ ふくらんだぁっ まんまる おなかの おん~なのこっ・・・

頭からはなれない・・。気づくと、無意識にくりかえし唄っているから相当ヤバイ。

宮崎駿監督の作品が公開される度に、どこかの局が必ず製作過程のドキュメントを放送します。そこには必ず不機嫌な巨匠の姿があります。天才と呼ばれる映像作家ですが、いつも悶え苦しみ、時には開き直って、5歳児にもわかるファンタジーを泥臭く絞り出す様に描きだします。きっとその産みの苦しみが楽しくてしょうがないんでしょうね。だからやめられない。

あのイチローでさえヒット1本打つ為にもがき苦しみ、時に人間臭く感情をあらわにする。そして自身の目標が達成されたときには子供の様に無邪気にはしゃぎます。先日亡くなった赤塚不二夫という大天才も、自身をコントロールする為に酒を愛し身を削った。

天才と呼ばれる人達って才能があるが故の、想像を絶する苦悩がいっぱいあるんだろうね。ヤダヤダ。凡人に生まれて本当に良かった。

よく「苦労は買ってでもしろ」なんて言うけど、苦労なんて出来れば売りたいくらい。買うほどの価値なんてないと思う。でも、できるだけ楽して暮らしたいと思いながら現実的には苦労を買っちゃってる場合が多いのはどういう事?貧乏性というのも才能なのかもしれないと開き直ってみると、まあまあ今の暮らしも悪くないかな?とも思う。
今週もtotoBIGにはキャリーオーバー発生中。夢の極楽生活への投資として今日もせっせとクリックするのだ。もう6億円の使い道は決まっているのだ。これでいいのだ。

2008年7月23日

世界各国で動きのある「エコ」を合い言葉にした白熱電球撲滅の動き。日本でも2012年までに国内での製造・販売を中止する方針がすでに正式に発表されています。小さな扱いだった白熱電球の国内生産中止のニュース。私は大いにショックでしたよ。省エネの観点から効率の悪い白熱電球は蛍光灯に切り替えろという単純な経済優先の発想です。そもそも日本の住空間、商空間共にムダに明るすぎます。コンビニなんか客がいない時間でも目がチカチカするほど明るい。本当は白熱灯の排除以前に照明の数を減らす方が先なんじゃないの?

一般的なシリカ球やミニクリプトン球なんかは対象外みたいなので、海外生産品を含めればすぐに無くなっちゃうという大げさな話ではないけど、世界的な流れとしては白熱灯の未来は明るくない様ですね。蛍光灯の値段はどんどん下がる。近い将来、白熱電球は高級品になっていくでしょう。電球型蛍光灯の普及、そして電球色蛍光灯もあるから白熱電球が無くなっても問題ないじゃんと思うのは大きな間違い。インテリアの重要な要素としての「点光源」である白熱電球が無くなる事は大問題なのです。

「点光源」なんて言われてもピンとこないでしょうね。簡単に言うとフィラメント自体が「点」として発光するのが白熱灯、ガラス面に塗られた蛍光体が「面」として発光するのが蛍光灯。いくら蛍光灯の光色を白熱灯に似せても、点光源がつくる美しい陰影までは蛍光灯では再現できないのです。照明なんか明るけりゃイイ。美しい陰影なんて言われても何の事か解らないのが一般的な認識でしょう。焚火、ロウソク、ランタン、ガス灯、そしてエジソン電球。美しき点光源の歴史は人類の浪費のツケとして消えていくのです。悲しい・・。点光源の救世主として期待出来るのは「LED」発光ダイオードなんですが、束にして多灯しないと照度は確保できない。多灯だから純粋な点光源とはほど遠い訳です。「影が美しいエコな新光源」・・売れないだろうから誰も開発しないんだろうな・・。

2008年6月27日

最近はほんとに購入欲がなく、まったく買い物をしません。物欲がない訳ではなく日々情報収集しているけど、ほしいモノが見当たりません。つまるところ現状に不満がないという事なんでしょう。

メインPCのMacBookがイマイチ調子悪いのでそろそろ買い替えか?と思うくらい。でも緊急じゃないから新型iMacの品質が安定して値段が下がるのを待っている状態。セコいと言わないでエコいと言って下さいな。

そんな中、唯一最近買ったモノがこの2点。

とうとう開発中止になっちゃったGoliveユーザー向けに定価49,800円の「Dreamweaver CS3」が特別提供27,825円で発売されたのでとりあえずゲット。でもいぢってる時間もないので未開封で放置されています。

そしてSIGMAの「DP1」。特に必要ではなかったけど、SD9からのフォビオンユーザーとしてはやっぱり持っとかないとね。そしたらアラびっくり。高性能ではないし相変わらず扱いにくいけど妙にしっくりくるカメラ。フォビオン画質をこんなに手軽に扱えるなんて驚きです。無骨な筐体デザインもスバラシイ。おかげでSD14の出番がほとんどなくなっちゃった。

2008年5月17日

「ケータイ」と言えば多くの場合「携帯電話」を意味します。「メール」と言えば手紙ではなく「電子メール」の事。DVDを見る時「ビデオを見る」と言い、CDを買いに「レコード屋」に行く。「パンツ」と言えば下着?ズボン?使い分けがいまいちよくわからない。そう言えばデニムとジーンズの使い分けもよく理解出来てないなぁ。

「ワンちゃん」と言えば「犬」の事で、王貞治をイメージする人はもうほとんどいない。だから「ミスター」という一般的なことばで一人の人物をいまだイメージ出来るのはスゴイ事だ。

「ヤバい」と言う時だいたいはヤバくない。「マジヤバい」と言ったらもうほとんどヤバくない。短く「ヤバッ」と言う時はもしかしたら本当にヤバい可能性が高い。「カワイ~」とか「ウケる~」にいたってはかなり厄介で高等だ。「チョ~」はカチンと来るけど「ギザ」ほどでもない。そこに今さら「マンモス」でも来ようもんなら逆に新しいと思う。日本語ほど曖昧で表情豊かな言語は世界中探しても無いんじゃないかな?知らないけど。

2008年5月10日

固体、液体、気体に関わらず物質の全ては「分子」の集まりであり(厳密に言えば原子の集まりだけど面倒だから無視)生物や植物はもちろん、海や空気、机やボールペン、コンピュータや本、車や核兵器まで、地球上に存在する全てのモノが分子レベルでは姿、形が違うだけでまったく同じモノです。そしてそれら分子の量は地球上でほぼ普遍(全体の分子量は変わらない)なんだとか。

たとえば死んで灰や煙となっても、それらは分子レベルでは単純に別のカタチに変わっただけ。霊とか輪廻とか精神論や宗教的な事はまったく無視したとして、物理的な分子というレベルだけで考えれば地球上の「何か」に確実に生まれ変わります。

だから「千の風になって」は分子レベルでは現実なのだ。

地球が生まれる前、地球はただのガスという形の分子の集まりでした。それらが様々な形となって存在している奇跡。犬と猿、ハブとマングース、松坂牛と宮崎牛・・もっと言えば、善と悪、戦争と平和、金持ちと貧乏・・なんだかんだ言ってもぜ~んぶ元は同じ。

そう考えればモノを見る目がかわりますよ。ちなみに人間を構成する分子は約1年くらいで摂取と排泄によって全部入れ替わるんだって。約1年で分子レベルではまったくの別人となります。

ヘ~っすごいね。

2008年4月13日

今年も春の到来と共にプロ野球のシーズンがやってまいりました。私はと言えば東北や某巨大ネットモールには縁もゆかりもないけど、勝っても負けてもオモロイ野球をする某新興球団を創設年からズット追いかけ続け、今年も開幕からの4連敗7連勝6連敗3連勝の勝率5割(今日現在)・・爆笑絶叫コースターを堪能する日々です。そしてここ数年はMLB(メジャーリーグベースボール)もよく見てますね。

パワーの違いはあるにしろ、日本のプロ野球との技術や能力などの差は今やほとんどないと感じます。でもルールは同じ競技でも文化の違いやビジネスの規模までまったくの別物。試合内容自体は日本のプロ野球もそれなりに面白いんだけど、やる気のない日本プロ野球機構と球団、スター選手不在・・試合内容以前の問題としてテンションが上がらない訳です。「興行」としては成立していないと言う事なんでしょうね。

そして個人的には日本独特の集団応援スタイルがプロ野球をつまらなくしている要因だと思っています。球場に足を運んで熱心に応援している方々を非難するつもりはないけど、集団応援が作る球場の雰囲気がイヤだから球場には行かない、テレビでも見ない人っていっぱい居ると思うんですよ。野球っていう球技は選手のプレーや頭脳戦などをじっくり見ていたい。投手戦と打撃戦でゲームの性格が試合毎に違う。静かに見るところ、盛り上がる瞬間などゲームの不規則な流れを楽しむモノ。私が子供の頃なんかよかったな~。観客全員がゲームに集中して球場全体でプレーを楽しんでいる空気に溢れていました。MLBにはまだそれがあります。だから面白い。

高校野球のブラスバンド応援を発祥とした現在の日本プロ野球応援スタイル。いいかげんトランペットとかホームとビジターがくっきり別れた統制のとれた集団応援とか、そろそろやめない?

ところで先日行われた東京ドームで開催されたMLB開幕戦を見ていたらスゴイ違和感。人工芝にベタ照明、動物園みたいにオリで隔てられた日本の球場でプレーするラミレスやオルティーズ。迫力ないなぁ。日本の球場は興行をする為の作りや施設になってないんですよね。ショーとしての見せ方や文化の違いも含めて「野球場」で「ベースボール」はやっぱり無理がありました。

2008年3月25日

ひんぱんにケータイを見ている。ケータイをかけながら歩いている。ウ~ん・・彼ら彼女らはいったい何をしているのだろう?普通の生活や仕事の中で、外での頻繁な連絡事項が必要な人なんて「ジャック・バウアー」以外はそんなに居ないハズ。だからたぶん「連絡」ではないのだろう。「コミュニケーション」にしてはあまりに空虚だ。「情報」や「娯楽」をあんな未熟な道具から得ているつもりならそれはきっと勘違い。想像力が貧困すぎると思う。たぶん、単純に習慣として使い、持っていないと不安になる社会とのつながりを願う「お守り」なんだろうね。そうして今日も無駄な電波がむなしく発信されつづけます。

ウチにはまったく無縁な話ですな。というよりケータイなんかいらないとも思っちゃいます。だって、たったの数年前はケータイなんか無くても困らなかったもん。当時と違うのは公衆電話がほとんどなくなっちゃた事。仕事上しょ~がないのでケータイを持ってるんです。プライベートでは家に置きっぱなし。仕事でも業務連絡でしか使わないのでよっぽどの事がないかぎり無料通話分で済んじゃいます。メールやWEBはPCでやるモノ。小さな画面に親指だけでチマチマと文字入力なんかしてらんないよ。様々なサービスやコンテンツもお金を払うだけの価値はナシ。だから当然ネット契約ナシの通話専用ケータイとして使っています。

ところで通話専用の機種ってどうしてロクなのがないのかなぁ。お年寄り向けのモノはあるけど機能を省きすぎ。せめてアドレス帳くらいは付けてもらわないと使えないよ。しかも端末デザインはあまりにもヒドすぎる。いくらなんでもお年寄りをバカにしているね。シンプルな美しいデザインにアドレス帳機能のみを搭載した通話専用端末。需要はどの年代にも相当あるはずなんだけど・・少なくとも私のまわりでは。

「カメラ付きケータイ」デジカメの方が格段に使い易いよ。「ミュージックケータイ」外出時は様々な環境音や他人の会話ほど楽しいモノはないのに。「ワンセグ」なんで外出してる時までテレビ見なきゃならんのか。「おサイフケータイ」現金の方がはるかに簡単で便利だ。
どんどん複雑難解になっていくケータイ。電池が切れれば何も出来なくなる単なる道具に依存するほど危うい事はない。

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